Moonwalk, or Michael Never Lands

マイケル・ジャクソンとバラク・オバマは、三つ四つ歳がちがうけれど、同世代と言っていい二人。
この世代は、謂わば60年代のファースト・チャイルド。公民権運動の、最初の恩恵を受けて育った。

マイケル・ジャクソンは、少年のころから音楽業界に身を置いたので、アファーマティブ・アクションの直接の恩恵をこうむったわけではないけれど、この時代のアメリカのポピュラー・ミュージックこそが、60年代的な「理想」を導いたanthemであったことは明白。
と同時にそこはマネーの渦巻く世界の中心…高く閉ざされた塔でもあった。

一方、バラク・オバマはよく知られるように、ケニア出身の悩めるムスリムの父、白人でのちに人類学者となる母のあいだに生まれ、ハワイからインドネシアと、少年期、マイケルとは対照的に、(アメリカを中心とすれば)世界の端っこを低くめぐり歩くことになる。

We are the world.
我々は同じ人間…ということではひとつである。
しかし、同時に多様…互いに相容れぬほど。

マイケル・ジャクソンの歌う「理想」と、バラク・オバマのポリシーは、そこはかとなく似てはいる。
それは、われわれが「同じひとつのもの」と信じるコモンセンスから、流れ出しているがゆえ。

マイケル・ジャクソンでいちばんよく聴いたアルバムは、「Off The Wall」。
60年代70年代の暑苦しさや使命感から逃走し、軽やかな80年代の到来を告げる、
プロデューサーのクインシー・ジョーンズのコンセプトが、隅々まで浸透した心地よきサウンド世界。

ここで、マイケル・ジャクソンのボーカルは、きわめて特徴的…いや、「特徴」がないのが、その特徴となる。
男性なのか女性なのか、
子供なのか大人なのか、
白人なのか黒人なのか、
…そのどれでもあり、そのどれでもない、しなやかな天使性の獲得。

抽象的な、まるで観念としての「人間」の声。
羽の羽ばたきのようなシャウト、天衣無縫のためいき。
…つまり、黒人も白人も、男も女もない、
「我々はみんな人間である」という時の、コンセプトとしての「人間」、
ヒューマニズムの前提となるヒューマン
…しかし、むしろ、天使と同様、
架空のコモンな非存在の響き。

思えば、マイケル・ジャクソンは、何かではなく、
つねにただ「人間」であろうとしたのかもしれない。
それ以外の属性
(少年・大人、黒人・白人、女声・男声、ロック・ファンク)
はすべて、着替えることが可能なアイテム…のはずだった。

具体的な特性を一切剥ぎ取ったイデア。
どこで生まれたとか、誰が親兄弟だとか、
仕事は何かだとか、履歴書に書くキャリアだとか、
白人黒人、祖国はどこ、何語をしゃべる、目の色髪の色、
人柄、性癖、食べ物の好み、犯罪歴
…そうした一切の特性を消失し、
ただ誰でもあり、誰でもない、
共通の存在=非存在としての、「人間」。
マイケルはそんなものとして、
自分を理解してほしいと望んでいたのかもしれない。

i’m searching for the world that i come from
‘cause i’ve been looking around
In the lost and found of my heart…
No one understands me
They view it as such strange eccentricities…
‘cause i keep kidding around
Like a child, but pardon me..

Michael Jackson “Childhood”

マイケル・ジャクソンという、
固有名というより一般名のような名前を持つ彼は、
自身の「顔」さえ交換可能なものにしようとした。
彼は美しくなろうとしたのではない。
顔もまた着替えることのできる、
あれでもこれでもありえる属性のひとつ
…と証明したかったのだ。
どんな「顔」であろうと、なかろうと、
まず「人間」である…はずなんだから。*1

ピーターパン。
ネヴァーランド。不可有郷。存在することが許されない世界の住人。
マイケルは重力に支配されない月面の歩行者のように踊った。
伝説の聖者のように、never land
…地に足をつけず歩むもの。

しかし、「われわれは…」から始まる演説を行うとき、
このネヴァーランドを信じることが出発点となる。
「われわれは…」と語り出すときに前提となっている「人間」という抽象性。
それはまた、バラク・オバマの感動的な
We the people, in order to form a more perfect union.
における「We」の基礎でもあった。
したがって彼は党派や宗教の争いを越えunitedされたアメリカ、
コモンセンスとしてのアメリカを見出すことができる。
Organizing for America | His Own Words

マイケルやプリンスの音楽の先行者たちは、
60年代70年代のミュージシャンには具体的な根があり、
黒人であったり、盲目であったり、音楽家であったり、
賃金労働者であったり、女であったりすることは、
着替えることができない、自身のID。
しかし、ネヴァーランドを信じない「大人」たちに、
「われわれ」が実在であると言い立てることは、
かの時代、リアルな行動だった。
「髪の毛が長い」という、取り替え可能な特性さえ、
彼らはそれに固執してみせた。
who are they to judge us
‘Cause our hair is long.

もしはじめからすべてが抽象的な「共通存在」であるなら、
そもそも権利をめぐって闘争する必要もない。
逆に、すべてがバラバラな個でしかなく、
人は人に対して狼であり、
自分の権利を最大限に追求することが、すなわち生
…その成否が人生の意味だというなら、
闘争は、正義や理想とは、まったく無縁のものとなるだろう。

バラバラな個と共通な「人間」いう両極のあいだで、
「私」は、黒人であったり、男であったり、
少年であったり、盲目であったり…
無数の特性の網目を行き来しながら、
意味を見出そうと悪戦している。
「私」や「あなた」は実在するが、
「われわれ」はそうではない。
しかし、それは見えない扉
…そこにこそ、人生の意味を開く鍵がある。*2

名曲、Billie Jean。
マイケルは、ボタンをかけちがえたシャツのように、
交錯しあいながら、けっして実を結ばない関係を図示する。

Billie jean is not my lover
Shes just a girl who claims that i am the one
But the kid is not my son

何かであることからの逃走。
「the one」は、「love」にも、「my son」にも、
否定形でしか結びつかない。
「i」はどの「私」とも交換可能な私であり、
「the one」は、この世界で具体的な愛の果実を実らせることがない。
抽象的な「理想」のままにとどめ置かれるもの。
ただ、「母の言葉」によれば、嘘は真実と結びつくのだが。

And mother always told me be careful of who you love
And be careful of what you do cause the lie becomes the truth

バラク・フセイン・オバマが、
マイケル・ジャクソンでもジェームス・ブラウンでもないこと。
さまざまな具体的な異質な相容れぬ何か…黒人、ムスリム、
アフリカ、アジア、ハワイ…をその名前のうちに刻印され、
大地に鎖でつながれいること。
彼は、民主党や共和党、黒人や白人、金持ちと貧困層
…無数の対立物の調停者として登場した。
その真価が発揮されるのは、
抽象的なコモンセンス(We are the World)を
具体的な対立から逃走することなく
形にしていくことにある。
しかし、それは特にアメリカ大統領だけの課題というわけではない。
ネヴァーランドにあるマイケルの魂が、
振り向いてみたくなるほど、この世界に
We are the Worldを具体化していくこと。
それは何のことはない、人が二人いればもう始まるような、
地に足のついた日々の出来事…常識(common sense)なのだから。

¶ Footnotes:
  1. プリンスも同世代。彼もまた
    誰でもない、何者でもない、ただ「人間」であるものになろうとしてはいなかったか。
    彼は自分のルーツどころか、名前すら失おうとしたのだった。
    ジャズならウィントン・マルサリスがこの「兄弟」であり、
    彼もまた年齢やジャンル、ルーツを取り替え可能なアイテムとした点で、
    音楽的な画期性とchildishが共存している。 []
  2. マイケル・ジャクソンがもっとも直截に恩恵を受けた
    音楽的先行者は、ジェームス・ブラウン。
    クインシー・ジョーンズは、あのアク多き音楽をフィルタリングして、
    その蒸留水からマイケル・ジャクソンを作り上げた。
    しかし、もしかするとJBはただアクだけでできており、
    濾したあとには何も残っていなかったかもしれない。

    ジェームス・ブラウンは、三年前のクリスマスに死んだ。
    マイケルはその棺にキスをした。
    その時、どちらが死者で、どちらが生者だったか。
    ジェームス・ブラウンという、
    あの男がこのありふれすぎた名前で呼ばれる謎は、
    あれには別に本当の「獣の名前」があり、
    クリスマスの語源となっているもう一人の男と同様、
    再生し不死である…という神話によって補完される。
    「個(おれ)」でしかありえなかった男と、
    「人間」というコンセプトになろうとした少年。
    たしかに彼らは奇妙な神話的ツインなのかもしれない。 []